【必読】物語執筆の背景やコンセプトは👇から

【第1話】📞2003年ワーホリの始まり:トラベラーズチェックと国際電話に震えたシドニー生活
序章:青春の記録、その始まり
今から20年以上前、2003年のゴールデンウィーク直後。
私はオーストラリア・シドニー行きの飛行機にいました。目的は「ワーキングホリデー」。
現代の旅では想像もつかないかもしれませんが、当時はまだスマートフォンは存在しません。現地の情報といえば、分厚い『地球の歩き方』と、事前にネットで印刷したA4用紙数枚。デジタルカメラも普及途上で、日本との連絡手段は国際電話がメインでした。
この旅を記録しようと背中を押してくれたのは、出発前に見送りに来てくれた友人がくれた一言でした。
「毎日日記をつけろ。後で必ず役に立つから」
彼の言葉通り、旅の荷物には、その日から書き始めた日記帳を忍ばせていました。これは、当時の空気感をありのままに閉じ込めた、「2003年の青春の記録」です。
💰 シドニー最初の試練:トラベラーズチェック(T/C)の両替と、高額紙幣への緊張
オーストラリアに降り立って、まず直面したのは「お金」の壁でした。
今はクレジットカードで簡単に現地通貨を引き出せますが、当時は「トラベラーズチェック(T/C)」という紙の証券が主流でした。これは現金代わりになる紙の証券で、パスポートとセットで管理し、その場でサインを書いて現金に換える必要がありました。
慣れない英語で銀行を探し、見つけた銀行で一人緊張しながらT/Cを差し出します。
「シドニーに着いてすぐ、T/Cを無事A$320の現金にすることができた。やっとこれで、一息つける」
(2003年5月10日の日記より抜粋)
初めて手にしたオーストラリアドルの重みと、無事ミッションを終えた安堵感は、今でも忘れられません。手数料はA$16とのことで、果たしてこれが妥当なのか確認する語学力もなく、何よりも現金が手元にないと生活できないので、背に腹は代えられないと思い直しました。ジュース一本A$2.95という値段に「ぼったくりか?」と戸惑い、高額紙幣を出してお釣りをもらうのにもドキドキしていました。すべてが不安で、すべてが新しい、あの頃の感覚です。

🏡 シドニーで初めてのホームステイ:英語力の絶望とホストファミリーの優しさ
シドニーで最初にお世話になったのは、ホストマザー、ファザー、そして二人のお子さんのいる心優しいファミリーでした。
ただ、到着早々、さっそく小さな勘違いが発生します。私が土曜日に到着したにもかかわらず、ホストファミリーには「月曜から来ることになっている」と伝わっていたようでした。それでも温かく迎え入れてくれた優しさには、今でも感謝しています。
生活は初日から試練の連続でした。子どものラグビー観戦に連れて行ってもらった時のことです。
「見知らぬ人に話しかけてみたが、『Pardon?(何?)』と返され、聞き返された。俺の英語は通じないのだろうか、一気にテンションが下がった」
(2003年5月11日の日記より抜粋)
完璧に言えているつもりでも、ネイティブのスピードや発音にはまるで歯が立たない。たった一言で、自分の英語の実力という現実を突きつけられました。

男の子も女の子も一緒にやっていたことに驚いた
🚨 当時の命綱:旅費よりも重かった国際電話とコーリングカード
当時の日本との命綱は、街の雑貨屋で売っているフォンカード(コーリングカード)でした。これは、裏に書かれたアクセスナンバーと暗証番号を入力し、残り通話時間を確認しながら日本へ電話をかける仕組みです。
「フォンカードを買って、日本に電話した。向こうには変わらない時間が流れているようだったが、久々に話せて本当に嬉しかった」
(2003年5月15日の日記より抜粋)
たった数分の通話でも残高を気にしなければならず、今のLINE通話とは比べ物にならないほど、「国際電話」は重みのあるイベントでした。遠く離れた家族や友人の声を聞くことが、どれほど心強かったか。

🏃 シドニーのバスの試練:時刻表がないバス移動と、最下層クラスからのスタート
ホストファミリーの家から語学学校へ向かう日も、一筋縄ではいきませんでした。
「バス停に行っても時刻表も、行先もほとんど書いていない。人が降りるのに合わせて自分も降りるしかない」
(2003年5月19日の日記より抜粋)
適当に降りて、初めて自分の足で街を歩き、何とか学校に到着。しかし、そこで受ける実力テストで、再び現実を突きつけられます。
「結果は、一番下のクラス。Elementaryだ。下のクラスの中でも一番下の実力かもしれない…」
(2003年5月19日の日記より抜粋)
不安と焦りが押し寄せる中、私はこの最下層のクラスから、3ヶ月間のシドニー生活をスタートさせることになります。

😭 鍵忘れ事件と、ホームステイの感動のフィナーレ
約1ヶ月間お世話になったホームステイ生活は、劇的な出来事で終わりを告げました。
シェアハウスへの引っ越しを控え、バイト初日の前夜のことです。
「帰りは遅くなると聞いていたのに、よりによってこんな日に鍵を忘れた。雨の中ひたすら待ったけど深夜1時になっても帰ってこないので、やむなく電話して帰ってきてもらった。あと1時間かかるというのは更に厳しかったけど、本当に申し訳ない。けど限界…」
(2003年6月6日の日記より抜粋)
情けなさと申し訳なさでいっぱいでしたが、ホストマザーは私を叱ることはありませんでした。そして翌日、別れの時。
「『また2週間後に戻ってきてね!』と言われ、かなり泣きそうになった。本当に最高の家族だった」
(2003年6月7日の日記より抜粋)
この1ヶ月は不安と失敗の連続でしたが、人々の優しさに支えられ、何とか異国での第一歩を踏み出せました。こうして私は、初めての海外生活で得た「自立への小さな自信」を胸に、シェアハウスでの新しい生活へと踏み出していくのです。

シャワーのお湯の出る時間が短かった
➡️ Next:青春を賭けた物語は、ここから加速する
ホームステイを卒業し、いよいよ本格的なワーホリ生活のスタートです。
次回は、生活のための最初の挑戦にフォーカスします。
・時給$4という衝撃の求人。
・初めての仕事で直面する接客業のリアル。
・シェアハウスでの生活を襲った「あの動物」との遭遇。
続きは👉:【第2話】2003年シドニーの時給$4地獄:ネズミが通るシェアハウスとワーホリのリアル
お読みいただきありがとうございました。
この「青春を賭けた大陸横断」の全物語は、こちらの連載全目次からお楽しみいただけます。

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