【第2話】【2003年ワーホリ回顧録】青春を賭けた大陸横断と人生の答え

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シドニー滞在中の週末。賑やかなファームイベントで、動物たちと現地の人々に触れることが、旅の厳しさを乗り越える活力になりました。

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スマホもGPSもなかった時代:2003年ワーホリ回顧録を公開する理由

【第2話】🏠 2003年シドニーの時給地獄:ネズミが通るシェアハウスとワーホリのリアル

序章:真の自立と日記のトーン

ホームステイという安心できる環境を卒業し、私はマリックビルにある週$60のシェアハウスに移りました。

この引っ越しこそが、「真の自立」の始まりでした。家賃は安くなったものの、生活の質は一気にサバイバルモードへ。この頃から、日記のトーンも一気に現実的になります。

「明日からいよいよ2ヶ月目の生活が始まる。学校では新しいクラスになっているといいが…。」

(2003年6月9日の日記より抜粋)

新しい生活への期待と不安が入り混じる中、シドニーでのワーキングホリデーの核となる「仕事」と「生活」という試練が、次々と私を襲い始めます。


💼 現実の壁:2003年の時給という衝撃と、寿司屋まかないのモチベーション

ワーホリの目的の一つは、海外で働く経験を積むこと。しかし、仕事探しは想像以上にシビアでした。

1.時給という衝撃

バイト探しで最初に聞いた店で、私は衝撃的な現実を突きつけられます。

「今日は2ヶ所に電話した。1つ目は時給はA$4ドルからスタート、無料アコモデーション付きだというが、それにしても安すぎないか?2つ目はA$8.5ドル。とにかく一度見に行ってみよう。」

(2003年5月21日の日記より抜粋)

当時の時給の相場はわからないですが、さすがにA$4ドルは違法スレスレのレベルじゃないでしょうか。無料のアコモデーション(宿泊)も見せてもらいましたが、2人で部屋を共有するという内容で、早く仕事を見つけたいという気持ちと、住む場所を見つけないという思いが交錯し、限られた選択肢と限られた時間の中で、大いに悩みました。

私は迷った末、「無料アコモ付き」を断り、時給がマシな現地の寿司屋(スシスマ)で働くことを選びました。ワーホリ生活はまず「生き残る」ことから始まります。

2.初めての接客業と「まかない」のモチベーション

仕事はホールのウェイター兼雑用。接客業は初めてで、失敗の連続でした。

「人の上着にタレをこぼすというドジを踏んだ。対処も他の人がやってくれたし、大きな問題もなく終わったが、以後気をつけようと思う。」

(2003年6月13日の日記より抜粋)

忙しい日には皿洗いまで任され、深夜まで続く重労働。しかし、このバイトには一つ、人生を左右するほどの喜びがありました。

「まかないのちらし寿司は相変わらずおいしい。これだからこのバイトはやめられない。」

(2003年6月15日の日記より抜粋)

当時の私は生活費を切り詰めていたため、この豪華な「まかない」が、次の日の食事、ひいては生きるモチベーションに直結していたのです。

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バイト先スシスマのまかない
毎回自宅まで送ってくれて本当にお世話になりました。
(👇今もやっているみたいで嬉しい)

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🏡 マリックビルのシェアハウスのリアル:ネズミとの戦いと節約自炊

家賃が安くなった分、住環境は一気にサバイバルモードに入ります。

1.隣をネズミが通り過ぎた日

シェアメイトのAli(仮名)と暮らし始めたばかりの頃、信じられない事件が起こります。

「俺が飯を作っていたら、その横を普通にネズミが通り過ぎていった。ネズミにもびびったが、Aliの叫び声にもびびった。」

(2003年6月15日の日記より抜粋)

大騒ぎになり、二人でネズミ捕りを仕掛けることに。家の中でネズミが走るという、ホームステイ時代にはありえない「リアルな生活」が、有無を言わさず始まったのです。

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シェアハウスのリビング兼キッチン(ここにネズミが…)

2.まずいけど安い、自炊との戦い

食費を削るため、自炊が必須になりました。

「35セントのパスタにひき肉などを入れて適当に味つけして食べた。まずいが安いし、いざという時に役立つアイテムだと思う。」

(2003年6月10日の日記より抜粋)

料理は失敗の連続。Colesで安売りの肉(Beef mince 2kg A$7)を買い込み、何とかタンパク質を確保。まずくても節約のために食べ続ける日々は、真の意味で「親元を離れた自立」を私にもたらしました。


👯‍♀️ ワーホリ日本人コミュニティの光と影:日本語多用の葛藤と複雑な国際三角関係

学校外では、ジュン(仮名)、ユッキー(仮名)を中心とした日本人コミュニティとの交流が深まります。

1.濃密な交流と日本語の弊害

カラオケ、カジノ、ダーリングハーバーのイベントなど、行動は常に仲間と一緒。濃密な交流は孤独な異国生活の「光」でした。

一方で、学校では日本人ばかりのクラスになり、英語に集中できないという悩みを抱えます。

「先生のお腹の肉がはみ出ていることを日本語で指摘した。わからないと思っての発言だったが、それ以降先生が気にしている様子。最近、日本語がわからないのをいいことに好き放題しゃべっているが、少し気をつけようと思った。」

(2003年6月10日の日記より抜粋)

日本人同士でいる安心感と、英語を学ぶ環境としては良くないという葛藤。これは、海外で留学・ワーホリを経験した人なら誰もが抱える「影」の部分です。

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国際色豊かなクラスメイト
アジア系の人が多かったです

2.青春のドラマ:友人同士の国際三角関係と賭け

この頃から、日記には友人たちの複雑な恋愛模様が詳細に記され始めます。

「ジュンから電話があった。同居してるタイ人アンに『一緒に住む』ことをちゃんと話すという条件つきで、ヌンと一緒に住む方向で話を進めるらしい。」

(2003年6月24日の日記より抜粋)

アンはジュンのことが好きらしい。アンとヌンは二人で同居していたのですが、アンではなく、ヌンと同居するというよくわからない方向に話が進んでいました。。
そして、青春特有の、熱くて不器用な感情の記録も残されています。

「なんかよくわからないが、おもしろいことになっているのは確かだ。ジュンは『何も起こらない』と言い張っていたが、俺は絶対にヤッてしまうと思うので20ドル賭けた。」

(2003年6月24日の日記より抜粋)

支え合いながらも、どこかシリアスな問題も増えていく。それが、当時のコミュニティのリアルな人間模様でした。

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友人たちとは連日色々な場所へ行きました

➡️ Next:青春を賭けた物語は、出会いと別れの連続へ

ネズミに怯え、時給に悩み、自炊で腹を満たした1ヶ月。生活の基盤は整いましたが、次は精神的な試練が待っています。

次回は、シドニー生活の後半戦、「別れと旅立ちへの意識」にフォーカスします。

 ・毎週続く、友人たちとの切ない別れ。
 ・遠く離れた恋人「まゆ(仮名)」への募る想いと、不安。
 ・ユッキーとの熱い「将来の経営プラン」の語り合い。

続きは👉:【第3話】2003年ワーホリ国際電話事情:コーリングカード遠距離恋愛の不安

お読みいただきありがとうございました。
この「青春を賭けた大陸横断」の全物語は、こちらの連載全目次からお楽しみいただけます。

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