潮騒のプロムナード、冬の陽光

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2003年7月。シドニーの冬は、空気が凛としていて、空の青さがどこまでも深い。私は友人たちと連れ立って、ボンダイビーチからブロンテへと続くコーストウォークを歩いていた。海岸線に沿って整備された遊歩道は、この街の美しさを最も濃縮したような場所だった。

天気は雲ひとつない快晴。だが、海から吹きつける風は冷たく、冬の到来を肌に教え込んでくる。時折、高く打ち寄せた波が岩場に砕け、白い飛沫となって空中に舞い上がった。その中を、地元の人たちが手慣れた様子でジョギングし、あるいは犬を連れて悠然とすれ違っていく。彼らの気負わない日常の風景が、旅人である私たちの目にはどこか特別なものに映った。

問題は、そのあまりに眩しい日光だった。冬とはいえ、南半球の太陽は容赦がない。真っ白な砂浜と、砕け散る波頭の白さが、鏡のように光を跳ね返す。目を細めて歩き続けるのは疲れるし、何より眉間に皺を寄せて歩くのは、この開放的な景色にそぐわない気がした。それに、すれ違うローカルたちの多くが、ごく自然に目元を覆っているのを見て、少しだけ彼らのスタイルに近づいてみたいという欲求も芽生えていた。

私は、ビーチ近くの露店で適当に選んだばかりのサングラスを、おもむろにバッグから取り出した。

それはブランド物でも何でもない、わずか数ドルで売られていた安物だ。普段、日本にいるときはサングラスをかける習慣などなかったから、顔に乗せる瞬間は少しだけ「カッコつけている」ような気恥ずかしさがあった。しかし、レンズ越しに世界を見た瞬間、その感覚は一変した。

刺すような光が穏やかな色彩へと変わり、波の飛沫や遠くの水平線のディテールが、くっきりと浮かび上がった。風を切って歩くうちに、冬の寒さを忘れるほど体が火照り、うっすらと汗が滲む。その高揚感と、サングラスによって守られた視界の静寂が、妙に心地よかった。安物のフレームは鼻に少し当たって違和感があったけれど、それを直す仕草さえも、シドニーの景色の一部になれているような、不思議な全能感を与えてくれた。

ブロンテビーチに辿り着き、友人たちと芝生に腰を下ろしたとき、私はしばらくの間それを外さなかった。安物のレンズが作り出した影は、ただの遮光以上の役割を果たしていた。

歩き終えたあとの心地よい疲労感の中で、私はただ、青く光る海を眺めていた。あの露店で手にした一枚のレンズがなければ、私のシドニーの記憶は、もっと白く飛び、眩しさに顔を歪めたものになっていたはずだ。それほど高価ではないその道具は、私の冬の散歩を、特別な時間へと変えてくれるのに十分な機能を備えていた。

旅の舞台裏

サングラスはオーストラリアでの生活における標準装備といっても過言ではないです。元々白人の人たちは目の色素が薄い(青色だったり)ので、目の黒い私たちよりも、日の光がまぶしいのだと聞いたことがありますが、大人だけでなく、子どももマイサングラスを持っています。

サングラスをかけてビーチでのんびりしながら、手にはボトルビールとフィッシュアンドチップスというスタイルは、初めての異国に来て、私をワクワクさせる光景でした。まず形から入りたいとやってみたのはいいのですが、シドニーの冬はそれなりに寒くもあり、ガタガタ震えながら冬のビーチで海風にさらされながらのVB(NSWのビール)は、ある意味良い思い出です。

とは言え、そもそもサングラスをかける習慣のなかった私にとっては、必須アイテムとはなりませんでした。目の悪かった私は眼鏡で行動することも多く、コンタクトを付けないとサングラスをかけられないという煩わしさもあったのだと思います。

ただふとした瞬間に、サングラスを通して空の写真を撮ると、セピア色になって雰囲気が出るということに気づいてからは、ちょいちょい登場機会がありました。今となってはあまり役に立たない豆知識ですね。

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