【第17話(番外編)】🧭 消えた道と地下基地の戦慄。スマホなきシドニーで味わった「本物の冒険」

序章:物語の隙間にある「本物の記録」
シドニーでの日々が3ヶ月を過ぎる頃には、生活の術(すべ)はひと通り身についていました。しかし、私の好奇心はガイドブックが示す「正解のルート」だけでは満足できなくなっていました。
本編(第1回〜第16回)では、シドニー到着から大陸横断への旅立ちまでを時系列で辿ってきましたが、その行間には語りきれなかった無数のエピソードが眠っています。それは、効率を重視する今の時代から見れば、あまりに無謀で不器用な、しかし何物にも代えがたい「旅の欠片」たちです。
そこでここからは、あえて時系列の枠を飛び出し、切り口を変えた「番外編(こぼれ話)」をお届けします。まずは、シドニー滞在中の3ヶ月間にスポットを当て、当時の私を形作った象徴的な出来事を一つずつ深掘りしていきます。
当時はGoogleマップもGPSもありません。街を一歩外れれば、手元の地図はただの白い紙になります。今の時代ならスマホひとつで数分で解決する移動やトラブルに、丸一日を費やしたあのアホらしくも愛おしい迷走の記録。本編を多角的に肉付けするこれらの断片を掘り起こすことで、23歳の私を「旅人」へと変えていった真実の姿に迫ってみたいと思います。
1. 200km先のイルカを追え!ポートスティーブンス(Port Stephens)の砂漠と「心の助走」
シドニー滞在も終盤。私は「やり残したこと」をすべてやり遂げるべく、北へ200kmのポートスティーブンスへと向かいました。朝5時半起き、7時集合。案内役のブルースさんは日本語が堪能で、参加者も日本人ばかり。「海外にいる」という緊張感から少しだけ解放された、同窓会のような不思議な安堵感に包まれた旅の始まりでした。

イルカと「写ルンです」の戦い
最大の目的は野生のイルカとの遭遇。しかし、そこには2003年ならではの試練がありました。
「船で沖へ出て、野生のイルカが船に寄ってくる場面や遠くで遊ぶ姿が見られた。写真を撮ろうと必死だったので、いい場面をいくつか見逃したのは残念。前からの風がとても冷たく、探す時間が長かったのでかなり寒かった。」 (2003年7月13日の日記より抜粋)
当時はデジタルカメラも普及途上。現像するまで結果がわからないフィルムカメラを構え、ファインダー越しに必死でイルカを追いかけました。「決定的な瞬間を記録したい」という所有欲に負け、肉眼でその雄大さを楽しむ余裕を失っていた。そんな若さゆえの不器用な失敗も、今では愛おしい記憶です。
街の裏に広がる「海と砂漠」
イルカウォッチングの後に向かったのは、街のすぐ裏手に広がる広大な砂丘でした。一面の海と、そこに突き出すような巨大な砂の壁。
「街を越えたすぐの場所に一面の海と砂が広がっており、何もないが逆にとても面白かった。たくさん写真が撮れた。」 (2003年7月13日の日記より抜粋)
都会のシドニーで暮らしていた私にとって、この非日常的な光景は、オーストラリア大陸の底知れないスケールを改めて突きつけてくれました。「この先に、まだ見ぬ広大な大地が待っている」——そんな予感が胸をよぎった瞬間でした。

ワインよりも酔いしれた「未来の話」――本編第3話の舞台裏
ツアーの最後にはワイナリーにも立ち寄りましたが、正直、味の良し悪しはどうでもよくなっていました。それよりも「200km先まで来た」という充実感が、私の心を大きく開いていたのです。本編第3話で触れた「ユッキーとの経営談義」の舞台は、実はこの帰りのバス車内でした。
「帰りのバスではユッキーと延々と経営の話をした。……本格的に勉強をして、将来は起業したい。まずは旅行代理店で仕事を学び、ゆくゆくは独立する。一度きりの人生だ。悔いのないようにしたい」 (2003年7月13日の日記より)
本編ではさらりと書いたこの一幕ですが、実際にはバスの揺れに身を任せながら、かなり具体的なステップまで二人で語り明かしていました。ただの観光ツアーが、いつの間にか人生の決意表明の場に変わっていたのです。この物理的な移動距離は、私の思考の枠を押し広げ、大陸横断という次なるステージへ向かうための力強い「心の助走」となっていました。
2. 消えた道と戦慄の地下基地:ノースヘッド(North Head)7時間行軍
これがシドニー滞在中で最も過酷な「自作の冒険」となりました。7月19日、私は「シドニーの端を極めたい」という謎の使命感に駆られ、マンリー(Manly)の先にあるノースヘッド(North Head)を目指しました。
頼りになるのは、カバンに突っ込んだ『地球の歩き方』と、街で拾ったフリーペーパー『Move』の簡易地図のみ。11時過ぎのフェリーでモスマン(Mosman)へ渡り、マンリーまで歩いてビーチでビールとランチを楽しんでいた時は、まだ余裕がありました。しかし、その後のノースヘッドで本当の試練が始まりました。

消失した道と、戦慄の廃墟
国立公園の深部へ足を踏み入れると、風景は一変します。
「国立公園に軽い気持ちで入ったのが間違いだった。舗装された道が出てこず、断崖や獣道をかき分けて進んだ。やっと人工物が現れ、戦争映画に出てくるような地下基地のようなものを発見。中を覗くとベッドやポリタンクなど、人が使った形跡があったが、水浸しで少し寒気を感じた。」 (2003年7月19日の日記より抜粋)
目の前には切り立った断崖と、どこまでも続くブッシュ。舗装路は消え、自分がどこにいるのかさえ分かりません。廃墟の底から漂う湿った冷気を感じたとき、脳裏をよぎったのは「もしここで怪我をしても、誰も助けに来ない」という冷徹な事実でした。スマホもGPSもない時代。ただ物理的に世界と「繋がっていない」という孤独な恐怖が、肌を刺しました。



自分への「合格通知」
結局、この日は7時間近く、約15km以上に相当する距離を歩き続けました。足は棒のようでしたが、荒野を彷徨った1時間は「違う世界を体験したようで有意義だった」とも感じていました。
「これからはもっと重い荷物で歩くことになるだろう。ここで根をあげるわけにはいかない。自分を追い込もう。」 (2003年7月19日の日記より)
ボロボロになりながら辿り着いた夕暮れのマンリー。その凄まじい疲労感こそが、これから始まる大陸横断に向けた「自分への合格通知」のように思えたのです。

3. 南の端への未遂と、街を彷徨う「装備調達」の冒険
シドニーでの移動は、常に情報の不確かさとの戦いでした。行き先が自然であれ、人の家であれ、目的地に辿り着くこと自体が、ひとつの小さな「冒険」だったのです。
デイトリッパー(Day Tripper)の境界線と、想定外の孤独
まずはシドニーの南、キャプテン・クックが上陸した歴史の地・カーネル(Kurnell)を目指した時のことです。頼りにしていた1日乗車券「デイトリッパー(Day Tripper)」の有効範囲は驚くほど曖昧で、現場でバスの運転手に確認するまで正解が分かりませんでした。
「南のクロナラ(Cronulla)まで行き、National Parkまで行こうとしたが、バスが適用されないことが分かり断念。適当にビーチを歩いて食事」 (2003年7月26日の日記より)
ルールが分からないまま境界線の外側へ飛び出し、結局は引き返す。しかし、その過程で偶然降り立った見知らぬビーチで、一人静かに海を眺める。そんな「計画が崩れた先の孤独」もまた、当時の私には旅の醍醐味に感じられました。

メモ一枚を頼りに:住宅街の「宝探し」
大陸横断に不可欠な「寝袋」の調達も、今思えばアナログな探検でした。ネット掲示板で連絡を取り、シドニー北部のディーワイ(Dee Why)にある見知らぬ人の家を目指します。
手元にある情報は、殴り書きの住所と「ボトルショップ(酒屋)の向かい」という目印だけ。現在地を示す青いドットも、ナビゲーションもありません。知らない街のバス停で降り、一軒ずつ標識を確認しながら、地図を回して路地裏を彷徨う。ようやく目印の酒屋を見つけ、見知らぬアパートの扉を叩く。そうして自力で「装備」を勝ち取り、重い寝袋を抱えて帰路につく。
「ミッションを完遂し、そのまま重い寝袋を抱えてフェリーに乗り、バイト先へ向かった」 (2003年7月26日の日記より)
効率的な「買い物」ではなく、不確かな情報を頼りに自らの足で目的地を特定していくプロセス。不便と格闘しながら一つずつ旅の道具を増やしていくこの泥臭い準備こそが、大陸という未知の世界へ踏み出すための、私にとっての「最初の冒険」だったのです。

4. ブルーマウンテン(Blue Mountains)離脱:ツアー客から「旅人」への脱皮
第4話でも触れたブルーマウンテン。実はこの時、私はある「実験」をしていました。それは、「日帰りツアーに参加しながら、事前に許可を得て途中で離脱。現地で1泊し、自力で帰ってくる」という試みです。

「予行演習」としての重み
前日に手に入れたばかりの寝袋を担ぎ、意気揚々と観光バスに乗り込みました。しかし、華やかな名所を巡る間、その寝袋はただの「重い荷物」として肩にのしかかります。
「最高気温7℃、最低1℃。雪の積もった場所もあった」 (2003年7月27日の日記より)
極寒の中、他のツアー客が絶景を「消費」していく横で、私はこれから始まる大陸横断への予行演習として、自分の足でこの地に立つ覚悟を固めていました。

バスを見送った後の「自由」
夕暮れ時、他の客が冷房の効いたバスでシドニーへ戻る中、私は一人カトゥーンバ(Katoomba)の街に残りました。
「YHAを見つけ、夕飯はColesで買い物。ビールと一緒に楽しんだ。早く寝るつもりだったが、結局いつもと同じ時間に」 (2003年7月27日の日記より)
観光地価格のレストランではなく、スーパー「コールス(Coles)」で安いビールと食材を買い込み、バックパッカー宿(YHA)のキッチンで自炊する。その泥臭いルーチンこそが、私にとっての「旅人」への第一歩でした。
整備されていない「道」へ
翌日、私はさらに自分を追い込みます。観光ルートを外れ、整備されていない「フェデラルパス(Federal Pass)」を含む5時間のブッシュウォーキングを敢行しました。
「ここで根をあげるわけにはいかくない。これからはもっと重い荷物で歩くことになるだろう。自分を追い込もう」 (2003年7月28日の日記より)
道中で口にした、激マズの「リコリス(Licorice)」の独特な味が、苦い記憶として今も残っています。重い荷物が肩に食い込む痛みを感じながら、何時間も孤独に歩き続けたあの時。私は自分が単なる「留学生」を卒業し、一人の「旅人」になったことを確信したのです。

結び:迷走こそが「旅の筋肉」になった
セントラル駅(Central Station)のコンコースで、大きなバックパックを背負った旅人を眺めては「自分もあと少しすれば……」と期待に胸を膨らませていた7月初旬。それから1ヶ月、私はシドニーのあちこちで迷い、歩き、間違え続けました。
7時間にも及ぶ強行軍の末に迷い込んだ地下基地での恐怖や、バスパスが適用範囲外で目的地を断念した計画倒れの遠征。今の時代、スマホがあれば数秒で解決するようなこれらの「ミス」のすべてが、これから始まる広大な大陸横断に向けた「旅の筋肉」になっていたのです。
ブルーマウンテンの険しい道で、「ここで根をあげるわけにはいかない。これからはもっと重い荷物で歩くことになる。自分を追い込もう」と決意したあの時、私はすでに単なる留学生ではなくなっていました。
目的地に最短距離で着くことよりも、迷いながら辿り着くこと。2003年のシドニーは、不自由さの中にこそ宿る「旅の真理」を、私に教えてくれました。
編集後記:次回予告
17話ではシドニーでの3ヶ月の生活の中で体験した、大きくはないけれど一つ一つに思い出のある、小さな冒険について取り上げてみました。今思えば限られた時間ではありますが、その中でも積極的に行動を起こし、通常の旅行ではたどり着くことがないであろう経験ができたことは、貴重な経験になりました。
18話ではシドニーでの3ヶ月の生活の中で体験した、様々な現地の人たちとの関りを描きます。心温まるエピソードから、踏み込んでよい境界線を考えさせられるエピソードまで。英語力不足ゆえに飛び込んでしまった、奇妙な人間模様の記録をお届けします。
次回:【第18話(番外編)】異郷の洗礼と予測不能な距離感。スマホなきシドニーで遭遇した「濃すぎる人々」
お楽しみに!
お読みいただきありがとうございました。
この「青春を賭けた大陸横断」の全物語は、こちらの連載全目次からお楽しみいただけます。

コメント