【必読】物語執筆の背景やコンセプトは👇から

【第14話】🥶 タスマニア縦断の挑戦:クレイドルマウンテンとMt. Amosの岩登りサバイバル
📍 序章:ワーホリの熱狂:ハーバーブリッジ花火と24時間耐久トランプの青春
2003年12月30日、私は恋人まゆを空港で見送りました。ワーホリの最大の目的を終えた後、私の心は一種の空虚感に包まれましたが、シドニーに残った仲間たちは、その空虚感を埋めるように、私を次の熱狂へと誘ってくれました。
1. 最高の年越し:ハーバーブリッジの花火
12月31日、私たちは最高の場所で年越しカウントダウン花火を見るため、昼間から席取りを開始しました。
「すでに席を取っていたシンジくん、ヒロ、アケミッチ、アヤちゃんと合流。(中略)マイとも再会。ついに3人揃い、懐かしい時を過ごす。」
(2003年12月31日の日記より抜粋)
混雑した会場でトイレに行くことすら命がけでしたが、ハーバーブリッジから打ち上がる花火は圧巻。「みんなで新年を迎える一体感」は、旅の終わりを飾る最高の思い出となりました。






2. 伝説のゲーム:「24時間耐久トランプ 汗汁杯2004」
年が明けても、シドニーの熱気は冷めません。私たちは総勢6人で、「24時間耐久トランプ 汗汁杯2004」という、体力と精神力の限界を試すイベントを決行しました。

ただひたすらに大富豪を24時間やり続けるという無益な大会(笑)けれどそういう今ではできない時間の使い方が醍醐味でした。ルールは負けたら過去の暴露。深夜3時を回ると、睡魔との戦いになりながらも、休憩時間にはシャワーを浴びたり、みんなで暴れたり。
「特にすごかったのは、ヨシ、イチロウさん、ユッキーの3人。徐々にテンションが上がって爆発していた。」
(2004年1月6日の日記より抜粋)
青春ドラマのような一体感の中でゲームは終了。初期の連勝で逃げ切ったユッキーの圧勝でした。

全員無事に完走しました!
❄️ 極寒タスマニア縦断:レンタカーでのリフト探しと、ワイルドな挑戦の始まり
シドニーで完全燃焼した後、私はラウンド期間中に立ち寄ることのできなかった場所へ訪れるため、ユッキーとタスマニアへ飛びました。1月だというのに、タスマニアは信じられないほど寒く、身が引き締まる思いでした。
タスマニア1周を計画していた私たちは、現地に着いてからリフト募集の案内を探します。乗せてくれる人たちを見つけるためです。しかし運よく見つかった人たちとはプランが合わず、自分たちでレンタカーを手配し、リフトメイトを募集するという選択をします。
最終的に2日間で3名の仲間が見つかったので、レンタカーは5人乗りのX-TRAILに決定し、タスマニア縦断の旅をスタートすることにしました。出発前日に事前打ち合わせをしましたが、特に具体的なプランを決めていた訳でもなく、移動しながら行き先を決めようということに決まりました。
1. タスマニアの難所:ワイングラスベイとMt. Amosでの岩登りサバイバル
コールスベイの先端、息をのむほど美しいワイングラスベイ。私たちは敢えて、困難だと言われるMt. Amos(マウント・エイモス)への登山を選びました。
「ただ登るだけでなく、手を使ったりケツをついたり、かなり険しい道のり。」
(2004年1月15日の日記より抜粋)
まさに岩をよじ登るようなルートで、往復3時間もかかりました。時間を要したため、この日もキャラバンパークに入れず、シャワーなしのフリーキャンプサイトで寒さに耐えながら寝るハメになりました。

2. ロスのキキのパン屋:魔女の宅急便のモデルと、天然店員とのユーモラスな出会い
旅の中盤、ロスという町で、映画『魔女の宅急便』のモデルになったとも言われる有名なパン屋に立ち寄りました。
ここで出会ったのは、働くことに慣れていない様子の日本人女性店員。
「パンを買うたびに計算を間違え、働き始めて1週間らしいが、商品名も覚えていなかった。びっくり。」
(2004年1月16日の日記より抜粋)
あまりの天然ぶりに、みんなで顔を見合わせて笑ってしまいました。店員さんに頼んで、パン屋の屋根裏部屋にある「キキの部屋」を見せてもらうという、旅のユーモラスな思い出ができました。

3. タスマニアの聖地:クレイドルマウンテンの9時間大ウォークと体力の限界
タスマニアの旅のクライマックスは、世界遺産クレイドルマウンテンです。
前日は極寒の中、ユッキーと私はテント泊だったにもかかわらず、世界遺産を目の前にした瞬間、急遽登ることを決断。事前に計画していた訳ではなかったので、装備もなく、今にして思えばなんと無謀だったことか。
雪の残る難所をいくつもクリアし、なんとか山頂に到達。
しかし、問題は帰り道でした。楽なルートを選んだつもりでしたが、予想外の険しさに直面します。
「結果的に9時間の大ウォークとなり、もう1泊することに。」
(2004年1月19日の日記より抜粋)
西オーストラリアのKnoll Bluffに続く、体力と精神力の限界を超える登山となりました。
結果的に思い付きでの9時間登山となり、更にもう1泊することになり、仲間たちには迷惑をかけたなと思いつつ、貴重な体験となり、また無計画な旅の醍醐味を満喫できた時間でもありました。

登山靴なく外国人が富士山登るような
感じだったと思います
🤝 最後の夕食と別れ
ホバートへ戻る途中では、ペーパードライバーのサナエさんの運転教習中に、入口のバーが降りてきて車に当たるという最後のハプニングも。
最終日の夜は、特産のサーモンを丸一匹さばき、この旅を締めくくる豪華な夕食会。夜通し飲み明かし、翌朝、サナエさんはケアンズへ旅立っていきました。
タスマニアは、温暖なシドニーやゴールドコーストとは一線を画す、ワイルドで、寒くて、挑戦的な場所でした。
➡️ Next:青春を賭けた物語は、突然の悲報へ
タスマニアでの旅を終えた私は、急遽1ヶ月後に来豪予定が決まった弟たちを迎えるまでの間、資金作りのため、南オーストラリアでピッキングをすることに決めます。
次回は、新しい共同生活の中での労働と、旅の終わりを決定づける突然の悲報を描きます。
- 農園の寮:Barmeraのノマズバッパーでの定住生活。
- 新しい仲間と絆:腐れ縁の仲間との共同生活で再認識した絆。
- ファームジョブ:シュガープラムとブドウのピッキングで稼ぐ日々。
- 突然の悲報:友人からの電話で知らされた、人生観を変える悲しい知らせ。
次回:【第15話】南オーストラリアのBarmera:ノマズバッパーでのファーム生活と後輩の死が告げた旅の終わり
お読みいただきありがとうございました。
この「青春を賭けた大陸横断」の全物語は、こちらの連載全目次からお楽しみいただけます。

コメント