【第15話】【2003年ワーホリ回顧録】青春を賭けた大陸横断と人生の答え

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アデレードからさらに内陸へ。地図上の赤いピンが指す「バーメラ」という聞き慣れない地名が、私の新しい日常の舞台になりました。この広大な大地に、また一つ自分の足跡が刻まれた瞬間です。

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【第15話】🍇 南オーストラリアのBarmera:ノマズバッパーでのファーム生活と後輩の死が告げた旅の終わり

📍 序章:メルボルン・アデレードでの温かい再会と、南オーストラリアへの旅立ち

2004年1月25日、約2週間のタスマニア縦断を終え、私はユッキーと別れ、メルボルン経由で旅を続けます。

メルボルンでは、以前シドニーの語学学校で先生をしてくれていたパイパーが空港まで迎えに来てくれるという嬉しいサプライズ。さらに、移動した先のアデレードのバッパーでは、東オーストラリアでトマトを一緒に採っていた懐かしい仲間タケちゃんとの再会もありました。

「以前より痩せたタケちゃんが、焼きうどん、みそ汁、茶碗蒸しといった日本以来の家庭料理をごちそうしてくれた。」

(2004年1月26日の日記より抜粋)

この温かい再会は、今後のファーム生活への活力となりました。


🏡 ファームジョブの拠点:南オーストラリア・ノマズバッパーでの共同生活とバレーボール

私はファームジョブの拠点である、南オーストラリア州Barmera(バーメラ)のノマズバッパーへと向かいました。ここで、約1ヶ月の間、ピッキングにいそしみます。Barmeraを選んだのは、ダーウィンからパースまで旅を共にしたメンバーだったマイの誘いがあったからです。

ノマズバッパーは町から離れており、買い物に行くのも、何か用を足すにも、定期的に出るバスに乗らないと行けないような立地で、仕事がない間は外出もままならない不便さゆえに、仲間との交流が深まりました。毎日仕事終わりにはバレーボールが始まり、ポイ回しやファイヤースティックの練習に熱中しました。

「ここでは毎日バレーボール大会があり、早速参加。日本人をはじめいい人が多く、非常に楽しい時間を過ごした。」

(2004年1月27日の日記より抜粋)

この1ヶ月は、忙しかった旅の疲れを癒し、働いてお金を稼ぐという目的を持ちながらも、人との触れ合いの喜びを再認識させてくれる貴重な時間となりました。

ファイヤースティック本番です

💰 高待遇も経験!シュガープラムとブドウのピッキングで資金稼ぎ

最初の不安を乗り越え、シュガープラムのピッキング、そして待望のブドウ(Grapes)のピッキングへと仕事は続きました。

「シュガープラムというのは木になっていて、下の方はそのまま採れるが、上のほうのは梯子を使って採る」

(2004年2月3日の日記より抜粋)

シュガープラム、初めて聞いた果物でした。味も知らぬままその生態を知ります。仕事自体もさほど大変ではなく、私としてはもの珍しさに楽しくやっていましたが、配置された人たちはどんどん他のファームに移っていきます。

「3日間で150ドルという結果には驚いた」

(2004年2月7日の日記より抜粋)

しかしシュガープラムは稼げませんでした。そもそもここに来る人たちは、稼げると人気のブドウを狙って来ていた人が多かったというのも背景にありました。

その後私もブドウのファームへ行けることが決まりました。その中ではトラクターにブドウを載せる「Roading(ローディング)」という、当時は高待遇の仕事(時給17ドル)も経験し、1ヶ月で約1100ドルという十分な稼ぎを手にし、弟たちの来豪のための資金を作ることができました。

シュガープラム

👧ワーホリ仲間との絆:戦友マイとの兄妹のような共同生活

この期間、私はマイと行動を共にすることが多く、「付き合っているのか」と周囲から聞かれることもありました。特に到着した2日間はベッドが空いておらず、やむを得ずマイのベッドで一緒に寝ることに。。けれど、

「恋愛感情ではなく、兄妹と思う気持ちは基本は変わらず、より大切に思える関係になった。」

(2004年2月21日の日記より抜粋)

これまで旅を一緒に続けてきた仲間であり、苦楽を共にしてきた戦友という気持ちが勝りました。過酷な環境を共有することで、友人や仲間を超えた、かけがえのない絆が深まっていきました。

仲間たちとの休息のひと時

😭 旅の終わりを告げる:後輩の死という突然の悲報と、無力感

2月22日に仲間たちに盛大なお別れ会を開いてもらい、私はBarmeraを後にしました。

2月23日、アデレードへ到着。夕食のカレーを作っている最中、一本の電話が私の旅の終わりを決定づけました。

「まゆから後輩の死を知らせる電話がかかってきた。(中略)事故で亡くなったことを理解するまで、何度も聞き返した。」

(2004年2月23日の日記より抜粋)

かつて弓を教え、楽しい時間を過ごした後輩の、突然の死。遠く離れた異国にいることで、何もできない無力感を痛感しました。

「人の死は突然で、簡単に訪れるものだと改めて感じた。」

この悲しい知らせは、私のワーホリというオーストラリアでの現実と、並行して走る日本での現実の境目を一気に無くしました。一方で駆け付けられないもどかしさを打ち消すように酒に溺れ、数日間の記憶があまりありません。

その後マイに見送られ、再会を誓い、私は弟たちの到着を迎えるべく、シドニーへと向かいました。


➡️ Next:青春を賭けた物語は、家族の絆と最後の祝祭へ

後輩の死という重い現実を背負い、私は旅の始まりの街、シドニーへと戻りました。

最終回となる次回は、兄弟との再会による心の「再起動」と、マルディグラの熱狂、そして旅の答えを見つける日々です。

  • 旅の「再起動」:日本から来た二人の弟との再会。
  • 最後の挑戦:兄弟と駆けたエアーズロック
  • 祝祭のフィナーレ:シドニーを熱狂させたマルディグラ・パレードの洗礼。
  • 旅の答え:「私がこれからどう生きるか」という未来への決意。

次回:【最終話】ワーホリの集大成:兄弟と巡るウルルエアーズロックシドニー・マルディグラの熱狂

お読みいただきありがとうございました。
この「青春を賭けた大陸横断」の全物語は、こちらの連載全目次からお楽しみいただけます。

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