2003年、私はクイーンズランド州のバンダーバーグにいた。果てしなく続くサトウキビ畑の記憶が強いこの街で、私はもう一つの目的を果たそうとしていた。グレートバリアリーフの南端に位置するこの海で、ダイビングライセンスを取得することだ。
講習は静かなプールから始まったが、本番はやはり海だった。ボートに揺られ、沖合のポイントへと向かう。見渡す限りのエメラルドグリーンと、空の青が溶け合うような景色。だが、船の上は常に緊張感に満ちていた。重い機材のセッティング、バディとの確認事項。それは華やかなレジャーというより、新しい技術を叩き込むための「現場」に近い空気だった。
そんな日々、私の肌に最も近い場所で時間を共にしていたのが、膝上丈のサーフパンツだった。
ダイビングではウェットスーツを着用するが、その下に何を穿くかは重要だった。本格的な競技用スイムウェアを持っていなかった私は、サーフパンツをそのままアンダーウェアとして代用していた。厚手のラバーに守られるその下で、薄いポリエステル生地は私の肌を保護する唯一の層だった。
船の上では、潜る直前までウェットスーツを腰まで脱いで過ごすのが常だった。南半球の強い日差しの下、ラバーに包まれたままでいるのは体温が上がりすぎて危険だったからだ。次のエントリーを待つ間、私はずっとそのパンツ一丁の姿で、船のデッキに腰を下ろしていた。
ポケットは付いていたが、そこは「濡れてもいいもの」専用の場所だった。一度海に飛び込めばすべてが水浸しになるし、厚手のポケットの内側はなかなか乾かない。うっかり紙幣やメモを入れっぱなしにすれば、使い物にならなくなることを実習初日に学んだ。
海から上がり、ウェットスーツを脱ぎ捨てた瞬間。太陽の熱で熱くなった甲板の上で、潮風に吹かれながら過ごす時間。そのパンツは、濡れても驚くほど早く乾き、次のエントリーに備える私の体を重くさせることはなかった。激しい動きでもズレることなく、それでいて締め付けすぎない。その安心感があったからこそ、私は深い青の世界へ飛び込むことだけに集中できたのだと思う。
無事にライセンスを手にし、バンダーバーグの港に戻ったとき、私のサーフパンツは潮の塩分で少し白く粉を吹いていた。それは、数日間の厳しい講習を共にした、目に見えない勲章のようなものだった。ウェットスーツの下に隠れながらも、あの海と船の上で、それが私の一部でなかった瞬間は一度もなかった。
旅の舞台裏
現地購入したものの一つに、サーフパンツがありました。今でこそ日本でも水着=サーフパンツみたいになってきましたが、サーフィンはやらなかった私にとってはあまりなじみのないものでした。
オーストラリアの人(といってもビーチに近い地域や暑い地域の人)は、よく街中でもサーフパンツスタイルの人がいました。特にスタート地点のシドニーではボンダイビーチの近くのホームステイで、ビーチに散歩に行きましたし、旅の途中に立ち寄ったサーファーズパラダイスなどではよく見かけました。
そんな経緯もあり、サーフパンツを手に入れることになるのですが、その汎用性から、ズボン代わりに、最終的には2着を交互に穿いていたような生活でした。ケアンズやダーウィン、あとラウンド中でも、サーフパンツにTシャツ。暑くなったり、水に入りたくなったらTシャツを脱いで水にドボン。それは自由なスタイルでした。
一方で女性も同じようなスタイルの人が一定数いました。ビキニで下はサーフパンツみたいなので、上にTシャツを着ているだけのスタイル。日焼け止めを塗っていない人も一定数いたんじゃないかと思います。私は当然のように日焼け止めは持ち合わせていなかったので、今はシミだらけですね。。オーストラリアは日差しが強いので、水に強くSPF50+とかが一般的なようです。


コメント